2009年09月28日

映像のゆくえ

ハリウッドのシナリオの渇望とアマチュア映像が浸透することへの映像離れが、高画質、高音質以外での表現提案を加速させます。

日本でも3D映画がいよいよ公開され始め、テーマパークでは、体感型の映像コンテンツの導入が進み、CGを【触って】感触を指先で味わえる、『触力覚ディスプレイ』の開発など、見るだけ以外の映像提案があちこちで見られます。

一方で、動画共有サイトを使わないともったいないとばかりに、あれもこれもと、とりあえずの投稿で、ユーザーの読解力は大衆化され、何が価値のある映像かが分からない人間が増えてきています。

先日、映画のメッセージが何か分からなかったという話を聞きました。良く聞けば、見たままの表現しか理解できずに、それ以外を難しいという一言で済ませていました。

文学作品が前後の文脈で、物事の背景を理解し、道筋を論理的に理解するように
映像もダイヤローグの間や音楽、ショットの連続性などから、同様のものを理解します。

以前もお伝えしたように、映像は、画、文字、音を使った総合芸術です。

そのため、表現も多岐にわたるため、難しいとか、面白くないということが起こります。

それだけ、映像制作は、「ソフト」的な側面がたぶんにあるのです。
そのため、作業は、精神作業になることも多く、お客様といいあいになっても、ベストだと思う手法を提案し続けます。第三者からみれば、ただのトラブルメーカーでしょう。

それでもなお、映像の提案をするのは、お客様のリクエストに答える最も最適な手法が映像であることが少なくないからです。

コストやリスクなどを考えると決して効率的ではないかもしれません。
しかし、工数や段取りなどを度外視してでも、お客様にご納得いただける制作を目指しています。

そうすることが、映像の新しいゆくえを切り開くと考えています。




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Posted by KNブログ at 18:07│Comments(0)
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